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長崎家庭裁判所 昭和47年(家)431号 審判 1972年8月26日

申立人 清水すみ子(仮名)

相手方 溝口晃(仮名)

事件本人 溝口愛子(仮名) 昭四四・四・二二生

主文

事件本人の親権者を申立人と定める。

理由

(申立の要旨)

申立人は主文と同旨の審判を求め、申立の実情として次のように述べた。

1  申立人と相手方とは昭和四三年五月事実上婚姻し、その間に昭和四四年四月二二日事件本人が出生したが、相手方と先妻との間の離婚手続ができていなかつたため、事件本人は一旦申立人の婚外子として出生届がなされ、次いで同年六月九日相手方の子として認知されていたところ、昭和四五年一月一七日申立人と相手方との正式の婚姻届によつて、その嫡出子たる身分を取得した。

2  しかし、相手方の暴力や先妻の子のことで家庭内に紛争が絶えず、昭和四七年四月申立人は事件本人を伴つて家出した。

3  申立人はその後親戚の者を介し相手方と、事件本人の親権者を申立人とすることで離婚の協議をしたが、相手方はこれを承諾せず、同年五月二二日申立人に無断で、事件本人の親権者を相手方として、協議離婚の届出をなした。

4  申立人としては、離婚そのものについては異存がなく、相手方が勝手になした離婚届を追認する意向であるが、親権者の指定については承認できないので、申立人を事件本人の親権者に指定されるよう求めて、本申立に及んだ。

(当裁判所の判断)

本件記録に編綴の各資料に、東京家庭裁判所(八王子支部)調査官高岡節子、長崎家庭裁判所調査官後藤卓一の各調査報告書を綜合すると、申立人と相手方との不和の原因が何処にあつたかはともかく、申立人が申立の実情として述べる事の経緯は、一応そのとおり認めることができる。

とすれば、昭和四七年五月二二日東京都清瀬市長宛届出の申立人と相手方との協議離婚は、離婚そのものについては双方に異存がないにしても、事件本人の親権者の指定に関し協議が成立しないまま、相手方が勝手にその届出をなしたものであり、法律上無効というほかないように思われる。

しかるに、申立人は本申立に際し、離婚については相手方の右効力に疑問のある協議離婚届を追認する意向を示し、また相手方も東京家庭裁判所八王子支部において調査官に対し、最終的には、事件本人の親権者を申立人とすることに同意する旨述べていることが窺われるので、かかる場合、前記届出による親権者の指定が無効であることは当然としても、協議離婚そのものは追認によつて有効に確定され、そのことを前提に改めて親権者の指定をする取扱が許されるものと解する。(無効の協議離婚の届出をなした当事者が、あくまでも子の親権者たることを望む場合など、他方当事者の追認によつて、無効の離婚届のうち協議離婚の効力のみが独立して、常に有効に確定されることには疑問の余地がないわけではない。しかし、本件の場合は前記相手方の意向からして、その点の問題はない。)

そこで、事件本人の親権者としていずれを指定するのが相当か判断することになるが、前掲各調査報告書によれば、事件本人は昭和四七年四月申立人に伴われて家出して以来、長崎市内において申立人および祖母と三名で生活しており、未だ定職がなく臨時の仕事を求めて働いている申立人の収入に、親族からの援助を受けて、経済的には必ずしも恵まれていないが、一応安定した生活環境にあること、一方相手方は先妻との間の三名の子(事件本人にとつていずれも母を異にする)を抱え、また近く再婚の予定であつて、このうえ事件本人を引取り養育する余地のないこと、かくて本件調査の終局段階では、相手方においても申立人が親権者となることに同意の意向を示すに至つたことなどが窺われ、これらの事情のもとでは申立人を事件本人の親権者と定めるのが、子の福祉上も適当であろう。申立人を不適当とするような特段の事情は認められない。

よつて、本申立を認容することとし、主文のとおり審判する。

(家事審判官 権藤義臣)

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